惜別 ブルートレイン その3

特集に戻る     TRAIN WORLD TOP 



2度の大阪遠征を終えて、その列車郡の素晴らしさに興奮していたにもかかわらず、
何か、妙に物足らなくなっていった・・・・・。

 大阪遠征後、金銭他使い果たしてしまった中学生は、夏場に向けて地元のブルトレに
目を向けた (というか、金銭的にも、どこにもいける余裕もなくなっていたのだろう)。
明け方通過のブルートレイン上り日本海だった。

EF81牽引の14系寝台特急”日本海” 北陸本線南条−湯尾 76.6.27.

 しかし、この写真を撮ってから、しばらくの間、ブルトレの写真は見当たらない。
 多分、その物足らなさのためだったのだろう。

 当時、鉄道誌を見ると、東海道本線を快走するブルートレインの写真を目にすることが出来た。
これには、魅力を秘めたヘッドマークが誇らしげに掲げられ、特急色に塗られたEF65の
500番台が牽引していた。
 これだ!これなんだな!
 北陸や大阪口で見られたブルートレインには、HMが無かったのだ。そのときの写真を見ても
先頭からの写真は、余り撮っていないのも、その証なのだろう。
 この積もりゆく物足らなさをどうにかしたい・・・。

 時は、高校に入って最初の夏休みだった。

 この頃、移動手段は、徒歩から自転車へと移っていた。
 これまた幸運にも、ツーリングが可能な自転車を手に入れることが出来た頃だ。

 夏休みのある日、その思いが再び燃え上がった・・・!
 そうだ!浜名湖へ行ってみよう!
 電車だと、到底、明け方には間に合わないし、立山のような直通で行ける急行も
ないので、運賃宿泊もかさみ、難しい・・。
 よし!自転車だ。これなら、前日に近くまで行っておけば、十分見れる。おまけに
野宿なら、安く済むし!!
 確か、昔は二俣線と言った今の天浜線の知波田駅と、帰りは、中央西線の大きな
無人駅の武並駅に2泊野宿して、700kmを超える自転車の旅に出かけたのでした。

 20系ブルトレ”あさかぜ” 東海道本線新居町−弁天島 77.8.2. ブルトレ”みずほ” 東海道本線新居町−弁天島 77.8.2.
ブルトレ”はやぶさ” 東海道本線新居町−弁天島 77.8.2. ブルトレ”富士” 東海道本線新居町−弁天島 77.8.2.
14系ブルトレ”さくら” 東海道本線新居町−弁天島 77.8.2.

 次から次へとやって来るEF65−500番台牽引のブルートレイン。
 鉄道誌で見たままに、ヘッドマークも誇らしげに輝いていた。
 興奮さめやまない間に、何百キロの帰路へとついたのでした。

 同じ年の冬、以前、大阪口で撮った写真が、白黒だったことに気づいてしまった・・・。
 高校に入り、新聞配達で貯めたお金で、是非とも、大阪口ブルトレもカラーで!!
ということで、再度、出かけていくのでした。

寝台特急”あかつき” 東海道本線新大阪 77.12.27. 24系化されていた寝台特急”安芸” 東海道本線新大阪 77.12.27.
寝台特急”明星” 東海道本線新大阪 77.12.27.
ゴハチ牽引の寝台急行”銀河” 東海道本線大阪 77.12.27. ”銀河”は余剰の20系化されていた 東海道本線大阪 77.12.27.
寝台特急”なは” 東海道本線大阪 77.12.27. 寝台特急”日本海” 東海道本線大阪 77.12.27.
EF81牽引は寝台特急”つるぎ” 東海道本線大阪 77.12.27. 寝台特急”つるぎ” 東海道本線大阪 77.12.27.

 ということで、大阪口の寝台カラー写真も撮り終えることができた。
 しかし、やはり、大阪口には、HMの存在は無かった。

 東海道、大阪と、ブルトレを満喫した後、あるきっかけで、20年もの間、鉄な世界の空白が続く。
 再び、鉄な世界へと戻ってくることになった頃。しかし、その状況は・・・・・。


  その1  その2<−  惜別ブルートレイン その3  −>その4  その5  その6