惜別 ブルートレイン その2

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北陸地方から大阪口への寝台特急撮影を果たすには、最低でも急行”きたぐに”に乗車する必要があった。

1973年10月1日のダイヤ改正にて
グリーン車スロフ62+12系座席車+10系寝台車の編成となった夜行急行”きたぐに”。
牽引はEF70、米原周りで、今思うと何とも魅力的な列車であった。

EF70牽引の寝台急行”きたぐに” 北陸本線武生 75.7.30.

20系ブルトレ”つるぎ” 東海道本線大阪 76.2.1.


大阪では、1972年10月の改正で20系ブルートレイン化された寝台特急”つるぎ”に出会った。
この列車も、1975年の湖西線経由に変更されるまでは、米原経由であり、
しかも、EF58にHM付きの運転を行っていたようだ。目にできなかったのが悔やまれてならない。

しかし、この時を振り返ってみると、この20系”つるぎ”の他には
ブルートレインの姿はなかった。
多分、”きたぐに”では、早朝、大阪にやって来る寝台特急群には間に合わなかったのであろう。

北陸から関西に早朝に出るには、もう1本あった。
早朝到着の475系夜行急行”立山だった。
京都では、寝台特急”さくら”もお目にかかれるはずであった。

深夜に走る夜行電車も設定されていた急行”立山” 北陸本線敦賀 76.2.22.

こうして、念願のブルートレイン撮影に出かけることができた。
 京都・大阪・新大阪と、明け方の関西は、目まぐるしかった・・・・・。

京都では、初めてHM付きのブルトレと対面できた 東海道本線京都 76.2.22.

この日は遅れていたのだろうか?14系”いなば”の後姿 東海道本線京都 76.2.22.

こちらも同じく14系”みずほ”の後姿 東海道本線京都 76.2.22.

京都では、”さくら”に何とか間に合う時刻だったはずだが、
この日の写真には、”いなば””みずほ”の後姿が写しだされている。
多分、遅れが出ていたのかもしれない。
 その後、新大阪・大阪へと向かい、九州方面からやってくる寝台特急群に目を奪われるのであった。

寝台特急”あかつき” 東海道本線新大阪 76.2.22. 寝台特急”明星” 東海道本線新大阪 76.2.22.
24系化された寝台特急”つるぎ” 東海道本線新大阪 76.2.22.

 新大阪駅では、九州方面から次々にやって来る寝台特急に目を奪われていた。
 立て続けにやって来る寝台特急に胸躍る時間であった。

 この興奮が忘れられず、もう一度この素晴らしさを・・と、翌月、再び出かけてしまうのであった。

EF58牽引の”あかつき” 東海道本線大阪 76.3.21. EF58牽引の”明星” 東海道本線大阪 76.3.21.
20系寝台特急”安芸” 東海道本線大阪 76.3.21. 寝台特急”安芸”のサボ 東海道本線大阪 76.3.21.

 この2度の大阪遠征が終わった。明け方、九州方面から次々とやって来る列車郡は、
素晴らしいの一言であった。
 にもかかわらず、何か妙に物足らない気持ちがくすぶっていくのでした。


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