北陸地方から大阪口への寝台特急撮影を果たすには、最低でも急行”きたぐに”に乗車する必要があった。
1973年10月1日のダイヤ改正にて
グリーン車スロフ62+12系座席車+10系寝台車の編成となった夜行急行”きたぐに”。
牽引はEF70、米原周りで、今思うと何とも魅力的な列車であった。
大阪では、1972年10月の改正で20系ブルートレイン化された寝台特急”つるぎ”に出会った。
この列車も、1975年の湖西線経由に変更されるまでは、米原経由であり、
しかも、EF58にHM付きの運転を行っていたようだ。目にできなかったのが悔やまれてならない。
しかし、この時を振り返ってみると、この20系”つるぎ”の他には
ブルートレインの姿はなかった。
多分、”きたぐに”では、早朝、大阪にやって来る寝台特急群には間に合わなかったのであろう。
北陸から関西に早朝に出るには、もう1本あった。
早朝到着の475系夜行急行”立山だった。
京都では、寝台特急”さくら”もお目にかかれるはずであった。
こうして、念願のブルートレイン撮影に出かけることができた。
京都・大阪・新大阪と、明け方の関西は、目まぐるしかった・・・・・。
京都では、”さくら”に何とか間に合う時刻だったはずだが、
この日の写真には、”いなば””みずほ”の後姿が写しだされている。
多分、遅れが出ていたのかもしれない。
その後、新大阪・大阪へと向かい、九州方面からやってくる寝台特急群に目を奪われるのであった。
寝台特急”あかつき” 東海道本線新大阪 76.2.22. | 寝台特急”明星” 東海道本線新大阪 76.2.22. |
24系化された寝台特急”つるぎ” 東海道本線新大阪 76.2.22. |
新大阪駅では、九州方面から次々にやって来る寝台特急に目を奪われていた。
立て続けにやって来る寝台特急に胸躍る時間であった。
この興奮が忘れられず、もう一度この素晴らしさを・・と、翌月、再び出かけてしまうのであった。
EF58牽引の”あかつき” 東海道本線大阪 76.3.21. | EF58牽引の”明星” 東海道本線大阪 76.3.21. |
20系寝台特急”安芸” 東海道本線大阪 76.3.21. | 寝台特急”安芸”のサボ 東海道本線大阪 76.3.21. |
この2度の大阪遠征が終わった。明け方、九州方面から次々とやって来る列車郡は、
素晴らしいの一言であった。
にもかかわらず、何か妙に物足らない気持ちがくすぶっていくのでした。