第4章 新型輸送車の発表からチキ工臨廃止へ
明けて2007年、
JR東海から正式な発表が行われた。
いわゆるキヤ97系の新製である。
気動車式のレール輸送車で、2008年春に定尺輸送車の
また、同年夏には、ロングレール輸送車の運用を開始するというものだった。
ということは、同時期ごろまでには、機関車牽引による工臨は全て廃止、
客車の廃止も行われていることから、
機関車自体も同様になるであろうことは想像に難くなかった。
その上、飯田線用ゴハチ157号機も春頃までで廃車となる・・
といううわさも持ち上がり、その後のキヤ97系までの繋ぎをどうするのか・・
ということまで話題に上がることになる。
発表はされたものの、2007年内は当然ながら現状による運用が行われていった。
この年は、新年早々のロンチキ工臨で、
ユーロ色機のEF64−66号機が久々に豊橋名古屋地区に入線し、その姿を見せ付けてくれた。
しかし、この66号機は、同年2月8日に単機回送で東海道を下った姿を見たのを最後に、
再びその姿を見ることはできなかった。
一方、廃車のうわさの高まるEF58−157号機は、
2月〜3月に入ってもEF64−35号機から受け取ったチキを黙々と飯田線へと運んでいった。
ところが、3月の中旬にそれは起こった。
3月9日の飯田線門島工臨の運用を終えた157号機が、
静岡地区へと送られたのであった。
何故こんなイベントっぽいことが起こったのだろうか。
この時点で残されていた釜は、
EF64−35号機、EF64−2号機、EF58−157号機、DD51−791号機であったはず。
この頃、64−2号機は全検時期がきており、検切れでそのまま廃車してしまうと、
予備車無しの64−35号機のみでキヤ97系完成までの工臨をこなすという運用となり、
なかなか難しいものであったため、64−2号機の全検入場になったものと思われるが、
これにより、静岡地区での工臨牽引機が不在となってしまったためであった。
こうして、全検切れ直前のEF58−157号機は、
3月8日発の函南工臨の運用から幹線走行という最後の大舞台に立つことになった。
この後、同年4月12日に157号機は、
交検明けのロンチキの回送という運用にも就き、
最後に幹線ロンチキ牽引という舞台も残してくれることになった。
このロンチキ運用の翌4月13日、EF64−2号機は全検から出場したため、
常備先である豊橋へと戻ることになったEF58−157号機は、最後の大舞台を終えた。
この3〜4月になっても、名古屋豊橋地区では、
EF64−35号機がロンチキ・チキとも黙々と工臨運用をこなしており、
また、同機のみの運用でもあったため、その姿はかなり頻繁に目撃されることになっていた。
ところで、DL機として残されていたDD51−791号機は、この時期、どうなっていたのだろうか。
前年の2006年夏ごろ、豊橋地区への工臨運用を終えた同機は、
やはり、岐阜地区での運用に就いていたようだ。
詳細はよくわからないが、2007年に入り、
3月21日に大垣工臨、24日には高山本線の工臨運用に就いたようで、
4月10日にDE15ラッセル車の西浜松への返却回送の運用を最後に、
その姿を見かけることはなかった。
そして、5月8日、ついに単機にて西浜松へと向かった。
では、残るEL機の運用はどうなっていたのであろうか。
4月9日に全検から出場したEF64−2号機が静岡地区で、
EF64−35号機は、157号機の大舞台での出来事はよそに、
名古屋豊橋地区を中心に運用をこなしていた。
この後、5月に入り、4月に全検から出場したEF64−2号機は、
ロンチキ牽引で久々に名古屋地区に入線したが、
11日の返しの運用は、EF64−35号機が担当した。
再度運用の変更か、あるいは、故障の再発か、と思われたこの牽引変更でもあったが、
どうも、この時期を境にして、
両機が名古屋豊橋静岡の全地区にて運用をこなしていたようであった。
残る2機にて、全地区にて最後の運用をこなしていくのであった。
一方、大舞台から返ったEF58−157号機はどうなったのか。
157車体を良く見ると、全検表示が12−7となっている。
このあたりから、157号機春頃廃車のうわさがでたものと思われるが、
静岡地区から戻って間もない5月に入り、飯田線での157号機の運用は、
格段に増えつつあった。
検切れ間近の最後の前倒しのようにも見える運用で、
ついにゴハチ157号機も終焉を迎えようとしていることは明らかであった。
実際の運用としては、5月7日・6月6日・6月15日・7月30日等あたりに
飯田線の積載チキ工臨が行われたようであり、
返しと単機送込みを入れると、
この4倍の走行を目撃することができることになったはずである。
飯田線での連続運用も終わりそうな夏真っ盛りの7月30日、
EF58−157号機は、伊那松島の工臨に出かけた。
12−7全検切れながらも、休車期間を振り当てての運用であった。
8月に入り5日、157号機は伊那松島までチキの返送に出かけていった。
廃車といううわさの広がる中での工臨運用であった。
ところが、この伊那松島返却工臨を終えた157号機は、
翌8月6日に、なんと、交検を受けるために単機回送されたのであった。
奇跡の交検入場で騒然となったが、
10日、無事交検を終え、出場を果たしたのであった。
幾度とない廃車のうわさを打ち消して、
最後の運用を待つばかりとなった。
この時期、これとは別に、EF64−35号機も
交検入場を行い、今後の運用に備えていった。8月19日のことであった。
8月10日、交検を終えたEF58−157号機は、
8月末からの飯田線レール配置箇所への工臨連続運用に就いた。
これこそが、本当の前倒し運用であったに違いなかった。
実際の運用は、
8月21日に門島、9月6日に平岡、9月17日には七久保、
10月に入っても、6日には三河川合市田、22日には大海七久保と、
飯田線レール配備箇所へのレール輸送を精力的にこなしていくのであった。
これも、実際には、単機回送及びチキ返却も同時に行われるため、
この4倍の稼働日数があったことになり、異常に多い運用であったことは間違いないであろう。
11月に入り、ゴハチ157は、再び交検に入場。
その最後に備えるのであった。
そして迎えた11月10日、秋も深まりつつある頃であった。
三河川合からのチキ返却工臨がその最後の姿となってしまった。
12月末には落成するであろう新型レール輸送車キヤ97系を迎えるにあたり、
一連の工臨運用を終えた157号機は、これ以上の延命を行われることも無く、
その使命をキヤ97系に譲り、長年の活躍を称え労う何の飾りも無く、
終焉を迎えるのであった。
11月15日、数名の駅員とわずかなファンに見守られながら、
西浜松へ向けて豊橋駅を単機、出発していった。
ゴハチが終焉に向けて運用を重ねていく一方で、東海道本線でも、工臨運用は続いていた。
名古屋豊橋地区では、EF64−2号機より、やはりEF64−35号機が中心の運用でもあった。
こちらもゴハチ同様の運命を辿ることはまず間違いない。
ただ、キヤ97系のロング版の運用までには時間差があるため、
ロンチキでの運用が最後まで残るであろう事は、想像できた。
また、この時期、JR東海の合理化・省力化は進み、
11月5日、運用されていた最後の客車であったトロッコファミリーが
ついに廃車回送されてしまった。
牽引には、色褪せたDE10−1524号機があたり、
機関車共々、西浜松への帰らぬ旅となってしまった。
これにより、釜廃絶の合理化は、
キヤ97系の本格運用を待つばかりとなっていた。