第2章 廃止への序章
2004年1月のEF64−2号機工臨との初めての出会いから8ヶ月ほどかかり、
JR東海EL機全7機の工臨運用の状況を見てきた。
この時期の運用は、
名古屋〜豊橋湖西地区間のチキをEF65形111号機(国鉄色)、
静岡地区間のチキ・ロンチキをEF64形2号機(国鉄色)、
名古屋静岡地区間のロンチキを中心にEF64形35号機及び66号機(共にユーロ色)、
飯田線ではEF58形122号機(茶)及び157号機(青)。
これが、この時期の主な工臨の運用であったようだ。
ユーロ色機であるEF65−112号機については、工臨運用自体が殆ど無いように思われた。
だが、一通りの運用が把握できたこの頃、
今後の機関車による工臨に陰りが出てくるような出来事が起こった。
14系ユーロピア車の廃車回送であった。
2004年9月10日と21日のことであった。
この日の牽引は、EF65−111号機と112号機がそれぞれ担当、
当時は、ピア車も老朽化してしまったのか・・残念だ・・
と思うだけだったのだが、
これこそが、釜廃止への始まりであったに違いなかった。
2005年に入り、ついにユーロ色機EF64−35号機牽引のロンチキを捕らえた。
このロンチキ撮影の直後、2005年4月19日、ピア車廃止に続く大きな出来事が起こってしまう。
そう、ユーロライナーの廃車回送であった。
牽引は、ユーロ色機EF65−112号機が担当、最後のユーロライナー正調編成であった。
ユーロピア及びライナーの廃車で若干の運用変更があったのか、
湖西地区でのユーロ色機EF64−66号機牽引の定尺チキ牽引を初め、
今まで、見かけることのなかったユーロ色機EF65−112号機牽引の工臨を
ついに捕らえることができた。
この後、2005年は、特段何事も無かったかように、基本的な工臨運用が続けられていた。
2006年に入り、ついに恐れていたことが起こりだしてしまう。
釜の故障だ。
最初に不具合を発生したのは、EF64−2号機であった。
ただ、同機については、同年4月22日、幸運にも検査完了にて復活を果たすことになる。
この頃、もう一つ、気にかかる状況が発生していたようだった。
同年2月に検査出場したばかりのEF65−111号機の様子であった。
実際のところは不明であるが、同年春頃からの運用では、
飯田線チキ豊橋送込みが、この111号機から何とユーロ色機DD51−791号機に
変更となった。
この時期、やはり111号機は、既に故障あるいは運用から離脱していたのではと思われる。
また、ある鉄道誌には、連休明けにゴハチ122号機が廃車・・
と掲載されてしまった。
その連休後、ゴハチ122は、飯田線において最後の花道なのか、
チキ6両を牽引という活躍を行うことになり、
このうわさは、正確には当たってはいなかったものの、
実は、その時期も、そう遠い日ではなかった・・。
(一般的な営業運用としては、連休中のトロッコファミリーが最後の運用であった)