今から30年も前、京都に行く機会があった。京都駅に着き、何故か、自分だけ
ここ京都駅に残る事になる。手にあったのは、確か、オリンパスペンかリコーの
オートハーフかどちらかだったと思う。
初めての京都駅、次々来る見知らぬ電車。子供一人で、決められた時間まで、
駅の中を所狭しと走り回っていた。
で、向こうのホームに、なにやら、青白い雷鳥みたいなものが止まっていて、
急いで写しに行ったのが、寝台特急”きりしま”で、これが、581・583系との
初めての出会いだった。
初めての583系 京都駅で、初めて見て、その 魅力にひかれる事になる。 京都〜西鹿児島を走る 寝台特急”きりしま”。 京都駅 1973.3.21.撮影 |
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真横の姿 京都駅 1973.3.21.撮影 |
583系・・・車輌限界いっぱいの大きな車体、「月光形」というネーミング、クリームに
ブルートレインの寝台を意識したような青の配色。非常に魅力多いこの車輌・・・・・・・
世界初の電車形の寝台特急車輌として、581系は60Hz用で登場、1967(昭42)年
より新大阪−大分間の昼間特急「みどり」、新大阪−博多間の寝台特急「月光」として
運転を開始、「月光形」の愛称で呼ばれるようになる。
昼間は座席車として、夜間は寝台車としてと、昼夜間兼用の画期的な運用で期待通り
の成果を上げ、翌1968(昭43)年の東北本線電化完成時には、50・60Hz共用で
耐寒耐雪構造の583系にて増備されるようになった。
寝台特急”なは” 新大阪−西鹿児島を走る ”なは”号。 早朝の大阪を最終新大阪に向けて 発車していく。 大阪駅 1977.12.27.撮影 |
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ファンの群がる”なは”号 明け方の大阪には、九州方面から 次々と寝台列車が到着してくる。 今思い起こすと、ゾクゾクするほどだ。 大阪駅 1976.2.22.撮影 |
続々増備された583系。西では「きりしま」「なは」「金星」「明星」「彗星」・・・・・、
東では「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」・・・・・と、九州へ北海道へと、まさに
新幹線連絡列車のピークを迎えていった。
寝台特急”明星” 新大阪駅 1977.12.27.撮影 |
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寝台特急”彗星” 新大阪駅 1977.12.27.撮影 |
また、この魅力は、昼間にも見れるようになる。電車の特性上、その運用の合間の
昼間特急「雷鳥」や「しらさぎ」として、名古屋や金沢にも顔を出すようになり、北陸地方の
ファンを喜ばせてくれた。
特急”しらさぎ” 寝台運用の合間に使用される 特急”しらさぎ”。 ファンの中では、人気があったが、 その当時、特急の乗車者側には、 どうだったのだろうか?? 北陸本線 金沢駅 1977.10.10.撮影 |
しかし、この画期的な昼夜兼用車輌も、新幹線が延長されるにつれ、その連絡特急の使命も
薄れ、また、昼間特急が削減されたこと、2段式寝台の登場による3段寝台の見劣り、
昼間特急としての向合わせ固定ボックスシートのサービス問題等により、その運用は減少し
はじめ、1983(昭58)年以降、ついに715系や419系近郊形への改造が行われ、老朽廃車
も進められた。
現在、定期列車は、「きたぐに」のみの運用であり、それ以外は波動用として使用されている。
419系 普通電車 前面が切り落とされてしまい、 食パン電車と呼ばれる583系 改造の419系。 しかし、内装?は、当時の面影 をしっかり残している・・・・・ 北陸本線 余呉駅 2003.2.28. |